指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百四十八段*<精神と色彩>2010.10.27

 私が歯の治療や検診でお世話になっている院長先生が無類の音楽好きだ。おもに聴くのがオーケストラのようだ。指揮者や曲の解釈や音楽関係のエピソードに詳しい。ご自分では音楽を演奏されるとはきいていないから、鑑賞一筋だろうか。

 ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の話になった。その先生の中では、ベートーヴェンの交響曲の中でも「英雄」は異質だという。いろんなものが詰まりすぎている・・・と。私もそう感じることがある。伝えたいことがたくさんあり、それを伝える技量や経験を重ね、精神も体力も有る。そんな時の作品だ。

 私の中での「英雄」は特別の作品だ。個人的には、ベートーヴェンとの出会いは「英雄」と「運命」から始まったということもある。何度も書いているモノラル録音の25センチのLPレコードを初めて買った交響曲だ。月の小遣いの凡てを叩いての買い物だ。中学生か高校生の時だ。胸を高鳴らせて「音楽の友」「ディスク」を立ち読みし、自分では演奏に携われるのはかなえられないだろうとわかりきっての、悲しい納得の行動だった。

 アメリカのNBC交響楽団が解体し、楽団員が自主運営として、指揮者なしのオーケストラ「シンフォニーオブジエアー」という名称での初めての録音だったのではないか。トスカニーニというカリスマ的な指導者がいないオーケストラはそう長くは続かなかった。

 「英雄」は、短いフレーズなのに表情の変化の指定が数多くある、というのが特徴のひとつだ。フレーズをのんびりと演奏するわけにはいかない。「遊び」の要素は一つもない。モーツァルトには、ここは「手抜き」か「寄り道か」「遊びか」と思わせるところが見えるのだが、ベートーヴェンには基本に「遊び」の要素はないのだろう。その極致が「英雄」だ。

 演奏しがいのあることこの上ない。色合いを付けられるピッコロを使わない。トロンボーンも使わない。打楽器はティンパニだけ。(運命や田園ではトロンボーンを使いだすが。)
 そんな楽器の使い方でも、私にはずいぶん色彩的に思える。色彩は不思議だ。横山大観の水墨画からでも色が浮かんでくることがあるだろう。それよりも、楽器自体が色合いをもっているのだからわかりやすい。

 私は、ベートーヴェンの演奏では「精神と色彩」を表現したいのだ。こんなことを言う指揮者は一人もおらず、その意味では異端の変わり者だと思われても仕方がない。
 ベートーヴェンは私にとっては「神」なのだ。神に近付く方法は人それぞれだろう。

 「精神を表すための音楽の色合い・・・」これが私の中でのベートーヴェンの魅力の一つだ。

 四百四十七段へ   四百四十九段へ