指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百四十九段*<生き方>2010.10.28

 歴史男ではないのだが、ふとしたところで知ることのできるエピソードに心を惹かれるときがある。「不識院 謙信」上杉謙信だ。仏門に入った時の名前だそうだ。戦国武将は生涯に何度も名前が変わる。生まれた時の名前から、師事した先生の名前や、上司の名前の一字などを取り、その時その時で名前が変わる。上杉謙信は実に6回名前が変わっている。最後の名前が自らつけた「不識院上杉謙信」・・・達磨大師と時の皇帝との問答で、達磨大師が使った言葉、皇帝から、大師とあがめられているが本当にそのように思うのか?と問われたときに「不識」つまり、知らぬ、と答えたとのエピソードを、林泉寺の住職から聞いて感銘を受けたようだ。
 自然体で自分の信ずるように生きる(戦国時代だから”戦う”ことだ)ようになり、家臣を大切に細やかな心配りをするようになったと言われる。

 甥に当たる景勝への書状の返書にも、優しさと思いがあふれている。短い本文を書き終えた後の行間に、景勝の文に対してのお礼を重ねて書いているところを見ると、細心の心配りが伺える。それも関東地方への出兵中の書状だ。

 忙しいという理由をつけて、返信が遅れてしまう我が身を恥じなければならない。手紙といえばベートーヴェンが誰かに書いた宛先不明の手紙の相手は誰なのか、誰も断定ができずに謎のままなのだが、無骨そのもののように見えるベートーヴェンだからこそ、その心の奥の優しさや、女性を好きになる気持ちや、どんな人を好きになったのかを知りたくなる。前段でベートーヴェンを自分の神に例えたのに、神に対し不敬とも思えるが、音楽の神のベートーヴェンと人間ベートーヴェンと、両方ともに私の中の神だ。神様に完璧なことは求めない。おそらくその人にとっての神様は千差万別に存在し、だからこそ時々、私には「何故?」としか思えない、身なり風体は冴えない人に信者が集まったりする。人間の心は弱くもろい。私の経験でも、わかりやすいのは、転勤した時の一年間は否応なく気持ちが不安定になる。程度の差はあっても、そのことは否定できない。つまり、些細なことで誰か、または、何かにすがりたくなる。

 情報が多すぎて、取捨選択ができなければ心も病むだろう。今の日本は、孤高を貫くとか己の生き方を貫くとかの生き方が、極端に難しくなっている。生きるだけの労働状況があり、生きていくための最低賃金が獲得できる。このことがあってこその、個人の生きざまが成立する。死んでしまっては生きる意味がないのだから。作家の伊集院静さんは、現実の世の中は白が黒になり、黒が白になる…と書いていたが、本当にそのようだ。10代後半から20代の若者たちの生き方が、私のころよりもはるかに難しくなっているように思える。

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