徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*四十五段*<想い出の断層−20−>2008.2.5

 普通科の高校から大学の文学部に進んだ。結局は大学を中退し、音楽をやりたくて、尚美学院の門をたたくことになる。応対してくれた学院のFさんがとても優しく説明をしてくれ、二十歳からの遅い音楽への進路に希望を持たせてくれた。Fさんには入学してからも卒業してからもいろいろとお世話をおかけした。思えばいろいろな人にお世話になっての今日がある。

 尚美学院に入学するまでの間に、初めて指揮を教えていただいたのが当時、東京女子大の教授であった池宮先生だ。斎藤秀雄の「指揮法教程」で教えてくださった。現職の教授であり、東京バッハアンサンブルとオラトリオ合唱団を主宰されておられた先生は多忙を極めていた。バッハのオラトリオの本番前の練習を見学させていただいたし、もちろん本番も聴かせていただいた。長谷川朝雄先生にも指導を受けることができた。先生がジュリアードから帰国し、間もなくだろう。指揮コンクール、たしかミトロプールスの指揮コンクールで入賞されていた。先生からメサイアのレシタティーヴォを抜き出してソリストと合わせる指揮を教えていただいたことが記憶にある。その後尚美学院の学生になってから、指揮法の集中講義のときに先生が講師でお見えになり、授業でも教えていただいた。

 学院に入ってからは、一年間を野内先生が教えてくださった。当時の川崎市民交響楽団と横浜のオケの指揮をされていた。怖い先生だったが、もちろんその裏には温かい心があり、ご自宅で食事をいただいたこともある。作曲家でもあった。指揮はマックス・ルードルフの「指揮法」を使って教えていただいた。先生は尚美を退職され、指揮法の先生が谷 慶郎先生に代る。二年間教えていただいた。楽理専攻の理論的で知的な先生の印象がある。斎藤秀雄の「指揮法教程」で学んだ。先生はこの二年間の後に秋田大学へ移られてしまわれた。そして谷先生の先生にあたる高階正光先生が講師として週に一回尚美に来てくださることになる。

 専攻科の学生になり、昼間は勤務し、夜間に尚美に通った。高階先生も二年間で尚美をさられてしまうが、その後も先生の指揮教室で教えていただいた。

 私は、出来の悪い生徒であったのは間違いない。教えてくださった先生方は無論、実力も人間性も大きな魅力のある先生ばかりだ。このことが、私自身がその後指揮を休む時期もなく継続してこられた大きな要因だと最近改めて思う。


 

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