指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百五十三段*<ホール>2010.12.9

 あるホールで演奏会を聴いた。席が2階席だった。妙に冷たい風が体に当たっているのを感じた。指定席なので、しばらく(かなり)その席で我慢をした。休憩時間に、余席があったのでそっちに移った。そのホールは三階までの造りで、エアコンの吹きだし口が天井と壁にある。それも、一階には見当たらず、二階、三階の位置に設置されているのだから、一階席は送風の直撃を受けることはなく、距離的に近い上の階の人が、大げさに言うと被害を受けるわけだ。

 開設10年のホールなので、まだ新しい。外観もホール内も。近代的な感じのする施設だ。マスは大きいのだが、音響はいまいちだ。見た目は良さそうな感じがするが、ほとんど響かないホールは意外にある。空調の風で不快になりながら音楽鑑賞をするのでは、伝わるべき舞台からの音楽も、神経が集中できずに、何とも言えない不満足感が出てくる。

 ホールも楽器の一つだと言った人がいるが名言だ。建築物のデザインを優先にするのか、新しいホールでも、残響のごく少ないホールがいまだにあることを考えると、我が国の音楽への関心の浅さを思い知る。もっとも、これはクラシック音楽鑑賞の場合のことで、電気的音響効果で音楽表現をするジャンルや、能や、ミュージカルでは残響がない方がいいのだから、音楽と言ってもひとくくりにはできない。オペラとミュージカルと一見似てはいるが、生音基本とPA基本では音に関しては区別しなければならない。面白くも有り不思議でもある。

 いい作品(心に響くという意味で)、いい演奏、いいホール・・・これがそろえば至福のひと時だ。高校生、大学生のころは大ホールで大編成のオケの演奏を聴くのが好きだった。あるとき、大ホールでのオペラと第九の演奏を聴いた。何とも、いらだちを覚えた。とにかくキャパが大きすぎるのだ。視覚的にもはるかかなたでの演奏や演技だし、音も伝わるには時間がかかるので、視覚よりも微妙に遅れて聴こえるような感じだ。

 クラシックの演奏会を平気で武道館で開催した(ことがあった)り、国技館での一万人の第九、イベントホールでの第九も持て囃される国だ。私自身は、イベントでアリーナのようなところでの音楽会に関わったことはあるが、純粋なクラシック音楽会や、汗と涙の結晶といわれる全国コンクールでも座席数が多いという理由だけでそのような会場を選んでいるとしたら、演奏や音楽への冒涜だとも思う。しかし残念ながら、そんな声が表に出たのを聴いたことがない。

 経済的に今の日本は閉そく感が漂う。身を持って感じる。経済でも仕事でも、その営みは人がするものだろう。人の行動の源は「心」にあるだろう。そう考えると、心の充足はないがしろにはできないとは、私だけの偏った考えなのだろうか。気力が伴わなければ何事も長続きはしない。劇団四季の経営者でもあり、演出家でもある浅利慶太氏は日本の現状を暗澹たる思いと語っていたが、そのとおりだと鶴首するばかりだ。エコノミックアニマル・・・死語にも等しい単語を思い出した。経済経済と声高に叫び、心をおろそかにするのでは、いつまで経ってもわが日本は精神的後進国だ。

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