指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百五十四段*<映像>2010.12.12

 カラヤンのヴェルディ「レクイエム」の放送を目にすることができた。ミラノ・スカラ座の演奏なのはわかるが、いつの頃の録画なのかは定かでない。それほど晩年の指揮でないことは確かだ。後のウィーン・フィルとの演奏よりもはるかにカラヤン自身が若々しいし、表現が直截的だ。

 いつ聴いても、この曲は美しい。聴いても指揮をしてもそれは同じだ。オペラ作曲家として不動の地位を占めるヴェルディだが、この「レクイエム」は作曲家の最高の曲だろう。鎮魂ミサ曲であるのだから、オペラの作曲とははじめから意識が違うことは容易に想像できる。モーツァルト、フォーレのレクイムには淡彩画のような色を感じるのに対して、ヴェルディのレクイエムはカラーの色彩だ。4原色のクアトロン、か。

 映像は、カラヤンらしく、人工的だ。お客がいない劇場で、燕尾服での演奏というのも、微妙な違和感が漂う。指揮と演奏の同期がされていない部分が散見するのは、当時の技術からすれば仕方のないことか。演奏よりも指揮が遅れている。カラヤンの映像は、アテぶりや、一部分の演奏しているパートを後から付け加えた不自然さがどこかにあり、私は容認できない。指揮者といえば「カラヤン」というくらいに一世を風靡したのが不思議でもある。ただ、抜群の集中力には脱帽だ。

 放送を聴きながらのこの文だ。意外と長く通しての演奏かもしれないと感じた。曲が終盤に近づくにつれて、ソリストのピッチが下がってきた。合唱も声をいたずらに張り上げるだけだ。
 スウエ―デン放送合唱団のあくまでピッチが正しい歌声とは正反対だ。今でもこのような歌声がもてはやされるのだろうかと疑問に思った。日本だから、本場のミラノスカラ座合唱団と名前を聞いただけで上手いと思いこむかもしれない。実際、世界で一番古い歴史を持つオーケストラを世界で一番上手いオーケストラだという、アンケート調査の数字がある。さっぱり分からない。

 生演奏とビジュアルの世界とは、これから並行して成り立っていくのだろうか。人間に近づこうとすればするほど、人間から離れていったりして・・・。録音、録画で「気」は伝えられるのか。チャンネル数を増やして再生すれば、生演奏と違わない臨場感を味わえるのか。なんだか、方向が違うような気がしてならない。

 3D・・・流行りそうな気配だけに終わるのか、本当に映像の必須になるのか・・・3Dの映像を果たして多くの人が求めているのか。些か怪しく感じる。オーケストラの演奏も3D画像になると、指揮者やソリストが画面から迫ってくるのか、もしそうだとしたら、かなり滑稽な映像になるのでは・・・とか、いろいろと考えを巡らせた。

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