指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百六十五段*<日本人以上の日本人>2011.4.12

 3月11日から一カ月、大震災の爪痕が癒やされることはないように時間が過ぎていっている。直接の人的被害を受けていない自分は何をするべきなのか。私も確信は得られないままの日々だが、同じような思いを持っている人が多くいるということは確信できる。

 昨日今日と、余震(というべきか、地震というべきか・・・)連続して起きた。地震の揺れに強いと思い込んでいた私だが、こう頻発すると心がめげてくるのも否めない。もちろん、それに負けることはないとは思う。家族を失った多くの方々が、どんな気持ちでその後の生活をされているのかと思えば、まだまだ胸がふさがれる。

 陣頭指揮の姿が見えないリーダーを、我が国のリーダーにいただいている時期でのこの天災、原発は(天災ではなく)人災だ。3月11日の数日前、週刊誌の1ページを使い、カラー印刷で、原子力発電がいかに安全かの広告を目にしていた私には、皮肉な、虚偽とも思える広告になった。国際基準での原子力事故の中でのレベル表示が、最高のレベル7になったと今日発表された。

 原子力安全保安院、原子力委員会の権威は地に落ちた。政府、行政と会社、これに加わることのお目付役を果たす専門家集団が、今の体たらくだ。慣れ、おごり、過信、これは組織の死活に関わるし、とりわけ国民の生命を左右するような職種の人には、過ぎるくらいの謙虚さが必要だろう。

 被害地域に対して、非難の指示がめまぐるしく変わりながら出されるが、そのための方策の発表がないものだから、指示を出された時点では正に絵に描こうとしても描けない餅だ。「絵に描けない餅」計画と命名したらどうか。今のままでは、その土地に生き、文字通り命をかけて生活している人たちの不安と不信がますます高くなる。

 「がんばれ」という単語はそろそろ禁句ではないのか。直接被害に合われて今日まで生きてこられた方は、十分すぎるほど頑張ってこられただろう。少し元気の残っている人への、頑張れ・・・は効果があるだろう。全く打ちのめされた人にとっての、頑張れ・・・は呪文のようにしか聞こえないのではないか。あるいは虚しく響くだけかもしれない。

 事故の対応のハードな面・・・ライフラインの復活、住まいの確保。食料の支給、これらは一刻も早く対応するべきことだ。同時に心の喪失感へのケア・・・必死の時から、少し落ち着いた時の索漠感にどう耐えるか、多くの人がその時のやるせない気持ちを経験しているはずだ。いいと思って流しているのか、テレビでの「がんばれ 日本」のような連続コマーシャルや、ことさらに震災からの復帰を願っての、しかし、まだ無理だろうにと思える、復興への第一歩を追った・・・というような、番組は心に入らない。

 クラシック音楽界からはどんな行動を見ることができるのだろうか。まさか、復興を願って、マーラーの交響曲第2番「復活」なんてやらないだろうな。安直なあまりに安直な発想だから却って本気でこの企画をやるところが出てきそうだ。突如として「第九」とか。

 演奏を依頼された奏者は通常の半額で仕事を引き受け、向こう一年は残りの半分を義捐金に充てるという発想が出るかもしれない。そうする人がいればたいしたものだ。

 そう言えば私の子どもの頃は、核大国が大気圏で平気で何発も核実験を繰り返していた。実験場近くの海域で漁業をしていた漁船第五福竜丸が被ばくをしたのではなかったか。あの頃の私たちは、今よりも否応なく大分多くの放射線を浴びてきた人間だろう。米国、旧ソ連、フランス、中国などに果たして福島第一原発の状況を声高に、自国民への影響として叫ぶ資格があるのか。

 孫正義氏が100億円の義捐金支出を個人資産からするそうだ。役員を降りるまでの役員報酬も被災地に回すというニュースが流れた。
 1957年、佐賀県鳥栖市五軒道路無番地、両親と祖母が線路わきの空き地にトタン屋根のバラックを建てて勝手に住んでいたということらしい。だから「無番地」か。在日韓国人3世として生まれた彼の受けた辛苦と今日の成功を思うと、その志の高さに敬服するばかりだ。1991年に日本国籍を取得、それでも20年前だ。日本人の誰よりも心の強さと優しさを示す行動は日本人以上に日本人だと思った。まだ53歳だ。


 それに比べると、何の理想もなく、己の権力欲や名誉欲をむき出しに見せ、維持することに汲々としている、時々垣間見えるみにくい老人たちには、静かに最前線からは去っていっていただきたいものだ。

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