指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百六十七段*<鎮魂の演奏を>2011.5.3

 ブラームスの交響曲全4曲をメインプロとして、四番から一番へとたどるこのシリーズも3回目を迎え、今回は交響曲第二番をメインとするプログラムとなった。

 日本は、日本人は、今苦難の道を歩んでいる。このことを触れずにこの音楽会の周知文は書けない。
 2011311日、厳しい大震災と津波が東北、関東地方を襲った。死者、行方不明者は合わせて二万五千人を数えようとしている。同時に起こった原子力発電所での事故と合わせ、味わったことのない苦汁の日々を過ごしている。余震が頻発し、多くの人の心は折れそうになっている。

 それから五ヵ月後の演奏会、復旧、復興もまだ緒に就いた時期での開催になる。命あるものは亡き人をしのび、喪に服すとともに、しかし、前を向いて歩いていかなければならない。演奏する者は演奏することで生きていることを確認し、聴く人はその演奏で心が癒やされ、あるいは奮い立つ。音楽の持つ不思議な、しかし大きな力を信じなければならない。

 序曲とも言える第1曲目はリストのハンガリー狂詩曲第二番だ。リストの故郷に住むジプシーの舞曲チャルダッシュ風の哀切極まるメロディーと、急速でエネルギッシュなフリスカの組み合わせにより、情熱的な流浪の民が描き出される。原曲は19曲のピアノ独奏曲として書かれ、そのうちの6曲が管弦楽に編曲された。指揮者レオポルド・ストコフスキーの編曲が私は好きだが、もっとも有名なのが今日演奏するベルクハウスの編曲だ。

 2曲目にラフマニノフのピアノ協奏曲第二番ハ短調作品18をお届けする。メロディーメーカーとしてのラフマニノフらしく、メランコリーを湛えた息の長い旋律が聴く者を魅了する。抒情的でロマンあふれる曲想で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲とともに時代も民族も超えて我々の心を捉えて離さない。(「のだめカンタービレ」でも登場し、千秋が演奏している。)
 もう一つの聴きどころは、ピアノの飯野明日香さんの演奏だ。現代音楽の演奏で磨かれた驚異的なテクニックと研ぎ澄まされた感覚、稀有な集中力とで習志野文化ホールへご来場の皆様にピアノの神髄を聴かせてくれるに違いない。人気先行のような虚ろなピアニストではなく、真の、あるいは本物のピアニストが習志野文化ホールに登場する。

 交響曲はブラームスの第二番ニ長調作品73だ。ベートーヴェンの交響曲第六番「田園」に例えられて、ブラームスの「田園交響曲」とも言われる。南オーストリアのケルテン地方ヴェルター湖畔に滞在しているときに着手したこと、また、この湖畔が気に入り「ヴェルター湖畔にはメロディーがたくさん飛び交っている」と手紙に書いている等のエピソードも合わせて思えば「田園」といわれることも頷ける。第一交響曲の推敲に二十年を費やしたのとは対照的に、わずか四カ月での完成だ。第一楽章の溌剌とした伸びやかさ、第二楽章のブラームスらしい鬱蒼感、第三楽章では一転しての牧歌情緒あふれる軽快さ、ストレートに曲が進む第四楽章・・・とブラームスの青年時代を思わせる交響曲になった。最後のフィナーレまで、しばしブラームスの世界に身をゆだね、第四楽章の一瞬で終わるかのような弾ける結尾部(コーダ)を期待していただきたい。

 時間とともに消えてゆく音楽は、人生の時間そのものだ。物理的時間を圧縮して人生や人間を感じさせてくれる。喜びや悲しみが瞬間のものだと考えれば、音楽も人生も無常であり無限でもある。

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