指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百七十段*<年月の重み>2011.6.22

 今日、二人から、徒然草の更新がないので病気でも?との連絡があった。この文章は読んでくださる人数の多さを目指しているのではないことを考えても、心配してくださる方がおられることをうれしく思い、また、段の更新をしようと奮い立った。

 その一人のTくん・・・もう「くん」とは言えないくらいの年齢に達しているので「さん」と書かなければならない。何といっても初めての出会いの時が大学生の時だ。そのころは当然のように「くん」と呼んでいた。人の出会いは不思議だ。偶然のように出会って、そのままになる人もいるし、それから何十年もの付き合いになる人もいる。

 何十年の「時」の経過をおろそかにしてはならない、と心に念じた。

 レコード(盤)をどうしようか、とふと思った。何百枚あるのか、ひょっとしたら千の単位になるのか。何年も針を通してないレコードが多い。それでも高校生の時から、なけなしの小遣いをはたいての購入だ。何だか処分するには未練が残る。
 ハンス・シュミット・イッセルシュテットの『第九』を、レコードプレイヤーにのせて音を聴いてみた。意外に柔らかな音がした。アナログの魅力というべきか、耳がなごんだ。(この行動自体が未練なのだが・・・)

 と書くと、そう、そのとおりだ。当然のごとく未練が増した。だが、部屋の一部分を占拠しているのも事実だ。これをいつまでも残したとして、自分の高校生からの想い出のレコード盤が残っても、誰かが処分に困るだろうとも漠然と思うし・・・。

 ごみ処理の観点だと、可燃物の扱いだとわかった。何枚も重ねるとかなりの重さになるから、少しずつ可燃物で出そうかとも考え、結局、思いあぐねている。

 音楽の「師匠」でもあるTくんに、助言を仰ごうか・・・。物を捨てると思えば簡単で、想い出を捨てると思えば難しい。近いうちに結論が出せるか、これも難しい。歳を重ねれば重ねたで、いろいろ考えることが増えるものだ。レコードだが、されどレコードだ。さて、どうしようか。

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