指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百七十二段*<人間をかえせ>2011.6.25

 レコード(盤)・・・どうするかを徒然草に書いたら、早速アドヴァイスがあった。「捨てるべき!」と。「あきらめの早い私はそうしています。」とのことで、かなり説得力があった。「何年か後には誰かがその処理をしなければならなくなる」とも書いてあり、そのとおりだと思った。理屈でわかっていても、そこに気持ちが加わるとそのとおりには行かなくなり、何かと滞る。来週から可燃物とすることにした。(少しずつ)

 オケの練習をした。会場が節電で冷房がなく、地獄のような蒸し風呂状態だった。
 最近、私には変だなと思うことがある。それは、電力不足を理由の「節電」だ。節電をおかしいと思うのではない。一律の節電が美徳のようにされる(雰囲気?いや、それだけではないだろう)現在の関東地方の取り組みだ。何が変だと思うかというと、電力需要のピークが過ぎる夜の時間帯でも、相変わらず昼間と同じ節電対策をしているということだ。電気は蓄電の分量が少ないことは誰もがわかっているだろう。夜の時間帯の節電はどれほどの意味があるのか、よくわからない。時間帯の需要に応じての節電の方法があるはずだと思うのは私だけか。


 ぜいたくは敵だと声高く叫ばれた時代を彷彿とさせる。私たちはなぜそんなに一律の行動をすることで安心感や満足感を得てしまうのだろう。音を出す「演奏」をするときには、室内は窓や扉を閉めて密室状態になる。大げさではなくしぶきのように汗が飛び散る。
 考えようによっては、原子力発電所が止まるとこんなに大変だと思わせるための、遠大に仕組まれた原発関係者が作ったストーリーではないかとさえ思えてくる。

 もし、高齢者のサークル活動だったら熱中症になるのでは、と心配になった。いや、私がすでに高齢者だと思えば、素直に自分が・・・と言おう。
 「放漫」「傲慢」は人間として生きる上での否定すべきことだ。「節約」「謙虚」・・・これは励行したいことだ。別に原発事故がなくてもその精神を否定する人はいないはずだ。やみくもな、一律の「節約」・・・これがおかしいと思うのだ。

 多くの人と足並みをそろえることこそ美徳だと、知らぬ間に教えられてきたのか。「欲しがりません、勝つまでは」 これか・・・これを不満に思わない日本人は、なんと従順な羊だったのだろう。(いまでも、か) 広島、長崎に原爆を落とされ、放射能の被害の恐ろしさを最初に体験した日本人が(私も)、いつの間にか放射能に麻痺をしていたとは・・・物惚けか、金惚けか、平和惚けか。

 大木正夫のグランドカンタータ「人間をかえせ」の冒頭を思い浮かべた。

 「ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ、
 わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ
 にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」

これが冒頭の詩だ。峠 三吉の詩集の「序」だ。


 作曲者のことば として大木正夫は次のように書いている。

 「峠さんの腹の底からにじみでた諸々の言葉を全世界の一人残らずの胸深く刻印したい。これこそ人間性喪失の時代にあって 人間を取り返し人類を存続と幸福に再出発させる端的な道のりだ。この道は権力や財力に阿ゆする事を知らぬ正直で素朴な庶民の善意の団結によってのみ開かれる。日本人のみが創り出しえる今日の芸術、それによって現代の日本人に課せられた 全人類に対する最も大きな責任の一端を担い得ることは、恐怖の世に 生を与えられた現代の私たちの本懐である。
  (196187日)

 自分が指揮を続けるのなら、この大木正夫の言葉を噛みしめながら歩みたい。この曲の終曲は「序」と同じ「人間をかえせ」が使われる。その一つ前が「呼びかけ」の詩だ。

 「いまからでもおそくはない あなたのほんとうの力をふるい起すのは おそくはない
 ・・・中略・・・
 あなたの赤むけの両掌で しっかりと握り合わせるのは さあ いまでもおそくはない」

さらに、ひとつ前の詩が「ちいさい子」だ。73行になる長い詩だ。

 「ちいさい子かわいい子
 おまえはいったいどこにいるのか・・・」

胸が震えた。


 こう書くと、極左と称され批判や攻撃をされるのだろうか。そうならば、この国は滅びるとしか言いようがない。

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