指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百七十五段*<「…かも」>2011.7.25

 自分が何歳くらいの時の音楽の記憶が強くあるのかと考えてみた。どうやら10代の時の記憶が一番だと思える。このころに聴いたラジオでの印象が鮮やかに思い出される。ポピュラーでも歌謡曲でも同じだ。クラシック音楽の記憶は少し遅れて登場する。

 何かの機会にこの時代の音楽を聴くとわかる。ほとんどが知っている曲だから。心理学的にたとえると、少年期の後期から青年期の前期にあたるのだろうか。そう思えば、私以外の人の多くの人が同じかもしれない。

 10代、20代、30代くらいが人生最高の時か。何も怖いものはなく、失うものがあってももっと多くのものが得られるものと思っていた(ように思える)。これは実は錯覚で、その時にしか得られないものの多くを失っていた。(と、今になれば気づく。もう遅いのだが。)

 テレビが地デジ化された。ためしにアナログのチャンネルを見てみた。当然、砂嵐状態だ。昔、中国に演奏旅行に行ったときに、夜、ホテルの電話が鳴った。出てみると、団員からの内線電話で「いま、テレビでシルクロードが流れています。見てください。」とのこと。見てみると、それは、番組が夜早々に終了し、ザーッという音とともに、画面は確かにシルクロードの砂嵐を思わせた。

 それくらいテレビ終了時間が早かった中国だが、今日は世界水泳大会が上海から中継されていた。目を見張るような経済発展だ。国民総生産では日本を抜いた。そんな中国だが、不幸にも新幹線の追突事故が起き、脱線、死亡者多数だというニュースが流れた。新幹線の技術ではすでに日本を凌駕したと鉄道関係者が豪語していたが、高速で運行される新幹線では事故は起きてはいけないのが必須だ。

 無理やりの経済発展を目指せば、どこかに歪みが生じるという一つの事例だといえる。中国の新幹線の車両は、日本、欧州の新幹線のコピーだと聞いてはいたが、客車を見ると東北新幹線にそっくりだった。列車の衝突事故は過去にもあり、その時は日本からの修学旅行の高校生が死亡した。

 我が国も、まだ、福島第一原発の冷温停止から廃炉への工程の途中だ。放射能汚染の「わら」、それを餌として食した「牛」、汚染された「茶葉」、ホットスポットといわれる放射能値の高い地域、原発近くの自宅に戻れない人たち、いつ解決し、いつから安全に住めるのかも分からない現在の日本だ。

 北欧で安全な国との定評があったノルウエーでの爆弾テロと銃乱射・・・何があってもおかしく感じなくなりつつある最近だ。

 音楽をやるものとして、何をこれからやらねばならないのか。今までの自分のままで良いわけはなく、模索しながらでも行動をしなければならない。
 ところで、「かも」には二つの「かも」があるそうだ。やれる「かも」の「かも」と、できない「かも」の「かも」だ。もちろん、目指すのは「やれるかも」という、いい「かも」のほうだ。

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