指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百八十一段*<駅弁>2011.10.12

 トランヴェールの巻頭エッセイの書き人が伊集院静ではなくなっていた。一年前に秋の夕日の中を疾走する新幹線の中で読んだ一つのエッセイが深く心に残っている。
 舞い落ちる銀杏の葉の向こうに亡き人の姿をみたという、その光景が目に浮かぶ。

 今月号のは、女性作家の「思い出を食す」という駅弁にまつわる内容だった。私の中では、食べ物のエッセイで感心した記憶がない。読後感は、ふうん、そうか。くらいの印象だ。それでも、知っている弁当の名前が出てきたので思いが膨らんだ。
 高崎のだるま弁当と横川の峠の釜飯がそれだ。

 だるま弁当を最初に見つけて、買ったのは何十年前だろう。40年くらいか。赤いプラスチックのだるま形の箱だったので、買うにはちょっと決断が必要だった。製造会社名が「たかべん」という名前だったこともあり。
 同行の人と赤城山の小沼のほとりで食べたような記憶がうっすらと・・・。

 弁当の味は◎、だるまの容器が貯金箱として使えるようになっていた。その時の人と貯金箱にしたのだが、長くは続かなかった。

 容器といえば、釜飯の容器は、一人分くらいのお米を入れて、水を入れればお釜として使える。風邪をひいたときに、その容器でお粥を作ってもらった。旨かった。

 どっちも思ったほど長く使わなかったのは、やはり使い回しだからか。第一の役割である”駅弁の容器”という役割を終えた容器には、それ以上の働きを求めてはいけないのかも。

 駅弁は材料は贅沢なものが使われているわけではないのに、日常から絶妙に心を解いてくれる。
小さな、しかし頼もしい旅人のアイテムだ。

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