指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百九十三段*<決裁>2012.6.28

 前段のサッカーに引き続き、テニスのTV中継を見ての心にしみた場面を書きたい。錦織 圭の試合の様子が印象的だった。(NISHIKORIと表示されていたから、にしこり選手と呼ぶのだろう。全く疎い分野なので顰蹙ものかもしれない。)

 試合は2回戦で、見事に勝利をおさめた。多彩な技術と(素人でもこれはわかる)プラスαの精神の強さを感じ、爽快だった。

 技術と精神と肉体が、融合すると、とてつもない感動が生まれる。昔から、心・技・体といわれているが、まさにその通りだ。

 ゴッホの絵でも、ベートーヴェンの音楽でも、人間でありながら神の領域に達していると思うのは私だけではないだろう。

 話は、変わる。
 あるコンクールに参加をしたいと思っている保護者から問い合わせがあった。校長先生が参加申し込みを承諾せず申し込みができない、当該の市の学校はすべて同じ対応なのか、という問い合わせだった。そんなことはなく、すでに何校もその市から申し込みを受けている。

 校長先生の職印を押していなければ、申し込みはできない。
 挑戦したい、させたい思いと、それを拒絶する校長先生の構図は、懸命に練習に励む子どもたちが二の次になっている不幸な構図だ、と私は思う。
 校長として、児童生徒の意欲や保護者の願い、教師の思いは、最大限生かしてやるべきだと私は思うのだが。
 決裁権を、マイナスに使うのは管理職としてふさわしくないだろう。「決裁」できるという権力を「職制」で手に入れたのだから、活力を生み出し、未来への扉を開けるために前向きに使えばいいのに、権力を許認可に使うとは、教育現場には相容れない使い方だ。

 そのような「長」が数多くいるのも事実だろうし、もっと大らかに大きく教育を考えることのできる数少ない「長」がいることも、また、事実なのだ。

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