指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百九十四段*<掃除中>2012.7.12

 部屋を掃除した。正確には掃除中(乱雑すぎて、一日では整理がつかない)、掃除の途中だ。
 
VHSのビデオテープを捨てようとしたが、中身を確認してから、となると当然作業は遅れていく。挙句は、どんなものかと観てしまう。 

昭和62年のニューイヤーオペラコンサートの録画があり、意志が弱く、BGMの代わりにと理由をつけ、再生した。映像があるのだからBGMにはなりえない。

 相変わらず、音程低めの人が、声を張り上げて歌っていた。クラシック音楽だって、商業活動の一つだから売れればよし、人気があれば実力もあり、といけばいいのだが、人気先行か人気のみという人も混在する。かなりの確率だ。

 不思議に、邦楽ではあまりそれを感じない。これを読んでいる人は、そう思わないだろうか。
 邦楽百選というラジオ番組があり(すごい早朝に)、否応なく聴いていることが多い(早起きか、睡眠障害で)のだが(しかも、風呂で)、その中の常磐津(浄瑠璃)、長唄(歌舞伎)、そして民謡だって(民謡はこの番組では聴いたことがない)、歌っている人たちの音程の確かさは納得のいくものだ。
 西洋の音楽の発声法よりも、邦楽の発声の方が、合理的かも、と思ってしまわないか。(それは違うのだろうが)

 うまそうに聞こえる、ヴィヴラートも曲者だ。低めに震える(声帯が、体ではない)あの震える声を聴いていると、こっちの体が震える。

 というようなマイナスのことばかりを、せっかく残っていたVHSテープに申し訳なく思いながら書いてしまった。
 歌う人でも、たまに音程の不安(フアン)のない人がいる(フィッシャー・ディスカウとか美空ひばりとか)。そんな人には、すぐファンになってしまう。

 部屋の掃除をしようとして録画を見てしまい、さらに、その感想をこうして書いている。
 だから、いつまでたっても部屋は片付かず。見える床の面積がまだまだ少ない。見える空間が広いほど心も広くなるような気がするので、何としても片づける途中の誘惑に勝たなければならない。
 この歳でこの体たらくだ。人間はいくつになっても進歩しないものだ。(人間ではなく、私は。だが、私は人間だから、人間でいいかも)

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