指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百九十五段*<清掃中2>2012.7.17

 部屋の清掃中の「段」を書いたのが、12日だからもう5日も経ってしまったのに、まだ、掃除は終わらず、まさしく遅々として進まず。微妙に、少しずつ捨てるものが増えているのは確かだ。それが、目に見えるほどでないのが、意欲がわかない一つの要素だろうと自分で分析している。

 作業は、時々のBGM入りだ。今日は、カセットに録音してあった詩人、尾崎喜八さんによる自作の朗読だ。ハープやピアノやリコーダーの流れる中に尾崎喜八さんが、詩の朗読とエッセイを読み上げる。ラジオで放送したときの録音だろう。

 この人の、声が素敵だ。老人の声なのに、精神は強く、表面は素朴、時に優しく、時に激しく、素直に心に入ってくる。
 山歩きをする時に、小さな植物図鑑は必携だとのことだ。どんな小さな植物にでも、名前がついていることを思えば、その名前を覚えることは、自分の目の前にいる者への敬意と愛情の証なのだと話されていた。人の名前を覚えるのと同様だとも。

 確かにその通りだと思った。激しく自己反省をした。植物に限らず、人も含めて全般に名前を覚えられない自分はなんだ、と自分が訝しくなった。
 名前を耳で聞く→なるほど、○○さん、だなと思う→しかし、記憶してない=自分
 これだ。転勤で新しい学校に行くと、申し訳ないことに、かなりの、時間(職員数50人だと一年間、その半分くらいだと半年間)をかけての記憶の定着になっていた。
 近くで見ている人で、私を、名前を覚えようとしない人だと思っている人がいるが、それは正解ではなく、覚えられない、のが正しい。
 シャーロック・ホームズは「高機能性社会不適合」と自分を称していたが、この「高機能性」というのは気に入った。自分もこれからそう言おうかと考えた。

 尾崎喜八さんは、山歩きが大好きで、一人での山歩きは「荷物も軽く、心も軽く、体も軽く・・・」と言っていた。私だと、軽いのは荷物だけで、心と体は重い。
 それにしても、このところ暑さが厳しく、否応なしに、山(高原)が恋しくなる。気温と湿度が全然違う。目の前に公園の緑があるのだが、木の種類が高原ではない。当たり前だが。エアコンで除湿しても、冷房しても、体が感じるのは、快適さとはずいぶん違う。冷気急降下(メーカーの宣伝文句)など、ストレスになるくらいだ。
 習志野一中のオケの合宿で、八月に苗場に行っていた。生徒は、若いので、午前も午後も夜も練習だ。引率者は、手伝いのOBも含め、生徒よりも高齢だ。なので、楽器の音を聞きながら、午後のひと時を畳の部屋で横になっていると、誠に心地よくなり、楽器の音に混じり、窓からさわやかな高原の風が舞い込むものなら、至福の時を実感する。(と、前に登場したホルンのT君が言っていた。)また、苦役の部屋の掃除に復帰するとしよう。

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