指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki


徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−
 



*四百九十六段*<人間だもの>2012.8.3

 徒然草が、「清掃中2」のままでは、カッコ悪いと思いつつ、時間は過ぎ、ロンドンオリンピックが開催され、もう一週間になる。
 時差があるので、否応なく夜中のテレビ観戦と、後から放送される録画との区別がつきにくいままに、競技には、世界の中で卓越した肉体と精神を持つ選手たちの姿に、感心するやら、共感するやら、15インチの画面でも、それなりに圧倒されている。テレビメーカーが大画面ディスプレイを開発するのも正しいことだと妙に納得した。(値段が手に入るものなら、断然大画面がいい。)

 競技の状況を伝えるのか、日本人選手を中心に応援しながらの中継なのかよくわからない熱の入りすぎたアナウンスと解説にはうんざりする。国際大会ではいつもそうだ。
 競技は勝負なのだから、勝ち負けがあるのを最初から意識していれば、すがすがしい中継になるだろうに。絶叫調のアナウンス、当たり障りのない希望的観測を述べ続ける解説者。
 負けた選手へのインタビューはやめたらどうだ。それと視聴者からの、メールやFAXの紹介というのも。負けた選手はコメントに困るだろう。今更、自分と同じ視聴者からの応援メッセージを紹介されても、そんなにはうれしくない。加えて、うまいか下手だかわからないイラスト付きには、降参だ。

 金メダルが取れた、これはうれしいに決まっている。しかし、銅メダルで残念では、価値観がおかしいだろうと、私は思う。世界の中での銅メダルなんて、金と同じように素晴らしいことだ。相手がある。相手が自分(達)より、資質があり、さらに上の練習をし、それに運が加われば、勝ったり負けたりの世界だろう。そういえば、漢字の表記で、銅は金に同じと書く、とか、銀は金よりも良い、と書く、とかの、慰めにもならないこじつけのようなうんちくは、慰めにもならない。笑いを誘うにはいいかもしれないが。何割かの日本人は、こんなことにも、共感するようだ。結婚式での一という字が互に支えあって「人」という字になるという話は、何回も耳にする。これと同じだと思えば、目くじらを立てることもないか。

 一人のアナウンサーが銅メダルの選手に言っていた。金を取れずに、応援してくれた人たちに済まない、と泣きながら答えた選手に、でも、立派なメダリストです。胸を張って帰国してください、と。このアナウンサーは素晴らしいと思った。正しいことを、温かい語調の中に語れるアナウンサー、この人こそアナウンスのプロだ。

 呆れたり、感動したり、これも知らぬ間に、熱を込めて競技を見ているあかしだ。選手の緊張と、精神力、「心技体」とは言いえて妙だ。判定や点数評価での、採点の不確かさや、誤審や、公平さに欠ける審判、など、選手以外の人を見て、「人間だもの」がある意味説得力があるものだと、この嫌いな言葉を再認識した。

 音楽のコンテストやコンクールも似ている。

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