徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*五十一段*<想い出の断層−25−>2008.2.18



 大学生の自分に嫌気がさしていたというか、面倒になっていたというか、高校生の時に目覚めかけていた音楽への思いが突然湧いてきた。無謀にも音楽の専門の教育をしてくれるところがないかと探しはじめ、音楽学校案内を見て、郵便で問い合わせをした。その時に一番早く返信してくれたのが、「尚美学院」だった。音楽の勉強は何歳からでもできるといった希望を抱かせてくれる内容だった。早速、水道橋近くの学院を訪ねた。その時に親切に応対してくださったのが以前に書いたFさんだった。

 自分で基本科に入学を決め、親には言いかねるので、大学はそのまま在籍のままにして、音楽の勉強をし始めた。昼間は働き、当時の二部、つまり夜間の部で勉強を始めた。ピアノを自分で月賦で買った。家にはオルガンしかなく、音楽を専門に学ぶには専攻は何にしてもどこの学校でもピアノの試験があることを知った。もう成人してきたので、両親は見て見ぬふりか、放っておいてくれたようだ。松坂屋の上野店か銀座店でピアノのセールをしていた。とにかく月払いで払うからと親にいい、確か24回の分割だ。購入した。

 メーカーは福山ピアノだった。三本ペダルの88鍵のちゃんとしたピアノだ。「デパート」でピアノを買うとか「月賦」とか懐かしい単語だ。

 そして尚美学院にお世話になることとなる。今は当然当時の校舎はないが、モルタル二階建てのあずき色の建物だった。学生も少人数で家族的だったし、鬼のように怖かった赤松憲樹学院長が先頭にたって指導に当たっていた。音楽受験の予備校のような存在だった尚美を、音楽教育機関として先輩の名だたる学校を目指し超えたいという意欲が学生の自分にも伝わってきた。赤松先生はその熱い思いが強く、また感情表現も激しい人だった。学生にも厳しかったし、恐らく教職員にも厳しかったに違いない。その手法への批判も多かった。以前に書いた、柏市の教育長古谷先生もそうだが、厳しさの中の優しさや情の厚さ、細やかさはなかなか理解されない。長短は裏表だ。私は信念を持って突き進む古谷先生や赤松先生を好きだった。表面上の優しさや、人当たりの良さや、社交上手な人間のどこに魅力があるのか。仕事には厳しいが、その裏には詩を愛し、詩を書き、音楽を愛し、音楽を奏でる、そんな二人に惹かれた。

 いまでも、若いころの価値観とこの部分は変わらない。虚実や虚構の世界のどこに価値があるというのか。己の信じる一本道を進む。そんな生き方をしてきたつもりだが、それはそれでリスクも伴う。信念を通すこと、それは生き方を難しくする。それでも熱く生きる。そのことを二人の先達から学べた。巡り合いは不思議だ。


 

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