徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*五十七段*<音楽のポジション>2008.2.28

 ニューヨークフィルが北朝鮮のピョンヤンで演奏会を行ったことがニュースとなってテレビや新聞で報道された。指揮者のロリン・マゼールが「私たちは音楽を演奏しにきた。それだけで政治的なものには関わりがない」といった趣旨でインタビューに答えていた。そうだろうとも思うし、そうではないだろうとも思う。

 政治体制の異なる国へ音楽団体が訪問することは過去にもあった。アメリカでいえば、ボストン交響楽団やフィラデルフィア管弦楽団がそうだった。ソビエト連邦と中国で演奏会を行った。それぞれの国の人達は大歓迎だ。「音楽には国境がない」まさにその通りなのだ。

 二十年以上も前に北京と上海で習志野青少年交響楽団の演奏の指揮をしたことがある。無名の日本からのオケと指揮者の演奏会でも会場は満席、スタンディングオーヴェションや、楽屋口まで待っていてのサインを求められた。その時のことを今でも熱い思いで思い起こすことがある。

 音楽を好きな人は世界中にいて、感じる心には民族や国境はない。人間としての根源の感覚は同じだと確信した実体験の音楽会だった。その反面、現実の厳しさも目の前に現れる。上海音楽院の若い学生が言っていた。「今は、まだ仕事の選択の自由は完全にはないが、この制度も近いうちになくなるだろう」と。この言葉が印象的だった。それから月日が流れた。今ではそうなっているのだと思うとうれしいことだ。

 それぞれの人がそれぞれの立場で音楽とのかかわりを持つ。自由な音楽の享受もあるだろうし、不自由な中での享受もある。人間の定めや運命を認めざるを得ない。厳しくもあり、悲しくもあり、こころがきしむ。


 

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