徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*六十四段*<火のない所にも…>2008.3.10

 三月も半ばになろうとしている。年度末に人事異動のある会社や役所では、年に一度の異動について気をもむ時期がきた。

 組織は組織の維持、発展のために人事を変える。これは基本の姿勢だろう。「気をもむ」と書いたのは、時にこの基本が忘れられて恣意的な人事異動が生まれた時に、必要以上に該当者が気をもむことになるということを言ったものだ。

 たとえば、営業活動で数字が評価の対象になるというはっきり目に見えるものがある場合はまだいい。問題は人事評価が数字として表わしにくい職種の場合だ。公務員、教育関係者などが分かりやすい例だろう。

 客観性のない評価を受けることは恐ろしいことだ。もし、ある上司に評価のすべてを託されていた時はどうなるのだろう。その上司の責任も重いし、評価をされる立場の者もさらに気が気ではない。「和をもって尊し」とする日本では年功序列というやり方で人事評価を切り抜けてきたともいえる。賢い知恵でもあった。

 今では、人事評価は様々な方法で行われているようだ。業績評価に重きを置こうとしているのが公務員など年功序列、採用時の段階で将来も見えてしまうという職種だ。民間企業では逆に年功序列が見直されているということも耳にする。組織の存亡がかかるといってよい重要な問題だ。多様な対応を模索し続けるのもやむなしだ。私の経験でいえば、評価を出来るだけ客観性をもったものにする必要があることは断言できる。人事の権力をもった組織の長が風評や人づての一部の情報だけで部下を評価することだけは避けなければならない。しかし、現実にはこんなことで人事を行う者もいるというのが悲しい事実でもある。

 業績や事実の積み重ねでの評価なら自己評価と上司の評価が違っていても甘んじて受け入れなければならないことは言うまでもない。ただ、分限や免職などには相応の理由がいるが、異動に関してはややもすると恣意的なことでも反映しやすいともいえよう。本人にとっては人生設計の上で重要な要素だ。それが誤った情報や風評で決められるのでは堪ったものではないだろう。

 私の尊敬する師は「人事の時は、まな板の上の鯉の心境になれ」と教えてくれた。私は尊敬する師にも恵まれ、不利益と思ったことが少ないのは恵まれていた。実際に評価をするに値しない人に評価をされた時はどう対処するのが良いのか、難しいことだ。ほかの組織で自分を必要としている組織があるかもしれない。組織で生きようとしたらそれに果敢に挑戦してみることだ。組織は組織を維持し、守ろうとはしても、個人をことさらに守ってはくれない。その組織を離れても生きていく自信があるならばその組織を離れるのも選択の一つだろう。

 私は、「風評」のことをことさら大きくとらえている。情報の氾濫する現代は風評被害に溢れているといっても過言ではない。その風評も根拠があればまた話は別だ。しかし、今では、悪意を持って風評を流せばそれが独り歩きする。「火のない所に煙は立たない」という諺は昔の話だ。今では、「火のない所にも煙は立つ」というのが正しい。何とも腹立たしい、寒々とした世の中になってしまった。




 

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