徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*六十九段*<想い出の断層−32−>00.8.3.19

 尚美学院を卒業するときには、かなりの年齢になっていた。かなりといっても就職するにはだが・・・。いずれにしても、親に頼るには申し訳ないと思う気持ちが強くなってきた。試しにと書くと無礼な言い方だが、教員の採用選考を受けてみた。学力検査の出来も覚えてないくらいだから、芳しくなかったことは間違いないだろう。実技も初見視奏、弾き歌い、フルートの実技、など冷や汗をかきかき帳尻合わせに専念した。

 結果はなんと合格してしまった。私立の高校の講師という話もあったが、公立の中学校教諭としての道を選択した。

 着任した学校は団地の中の学校だった。学力も高く文化への関心も高い音楽指導にはぴったりの学校だ。弦楽合奏と合唱の二つの音楽部があり、私は合唱部の顧問を命じられた。

 その合唱部にYという生徒がいた。頭脳晰、忍耐強く、温厚な性格、何よりもピアノが卓越していた。部長とピアノを引き受け、不満を言うわけでもなく黙々と責任をはたしていた。
進路のひとつに音楽の道ということも考えていたようだが、結局高校は公立の普通科に進む。高校生時代にも、私の指揮での演奏会では何回かピアノ伴奏をしてもらった。

 Yは国立大学へ進み、大学院も卒業する。卒業して間もなく結婚をした。その後も音信不通にはならなかったが、ある会合で席を隣にする事があった。それからコンチェルトをやる話が再び実現することになる。Yが大学生の時にモーツァルトの戴冠式を共演した。それから何を一緒に演奏したかを振り返ってみると、ショパンのコンチェルト、ベートーヴェンの皇帝、モーツァルトの20番のコンチェルトが浮かんでくる。

 Yにとってみると大学生から、いままでの間に結婚、出産、育児と様々なことがあった。つまりピアノの技術の維持やモチベーションを維持することも難しい。しかし、今でも現役のピアニストとして、大きな合唱団のピアニストであるし、今年は5月に私が指揮をする合唱の伴奏をしてくれるし、8月にはラフマニノフの二番のコンチェルトを弾くことになっている。

 私にとっての喜びは、家庭を持っても、育児の時期があっても、音楽を続けて技術の維持をして、また舞台で共演できる状態を保ったYの努力の継続だ。ひとりの人間を取り巻く状況は、刻々と変わる。その中でやるべき道筋を見つけ、その道を歩むことは、ことさらに難しい。その道をいま歩んでいるYには応援せざるを得ない。

 私が定年前に早めに退職したときに、記念に万年筆を渡された。万年筆ははるか昔、Yが高校進学の時に私が記念にあげたものだ。それを覚えていて、何十年後に同じ物で祝ってくれる。今も続く・・・想いでの断層・・・の一齣だ。



 

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