徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*七十三段*<音の不思議・・・>2008.3.26

 音楽の不思議ではなくて、音の不思議だ。この場合の音とは人間の可聴範囲の音なのだが。視力でも聴力でも、我々には聞こえない音域の音を他の動物は聞くことができたり、見ることができたり、それこそ科学の力を借りれば何千倍、何万倍もの情報を得ることができる。そんなふうに考えると人間の持っている力もたいしたことはないし、生物としてみれば哺乳類の一つの種でしかないのだなと謙虚に思うこともできる。

 音を感じることが他の動物にはできるのだろうか。音に対して反応しているなと思える時は結構ある。いまわれわれが音楽といっているものにはどうなのか?音楽を聴かせると甘味が増す果物があるそうだ。花の成長が早いとか・・・。音楽をかけた中で作った焼酎を飲んだこともあるから、どこかで感応するところがあるのかもしれない。

 音楽会で演奏を聴いた時に、その時の体調によって、演奏の感じ方が違うと感じたことはないだろうか。あるいはオーディオ機器で聴くときに、好みの音量がその時によって違うということとか・・・。体力と音楽の聴取は関係があるのだなと、風邪気味で音楽会に行った時に思ったことがある。それから、客席でなぜこんなにたくさんの人が同じ演奏を聴いているのかな、とか、どんな気持ちなのかなとか、とりとめなく考えることも・・・。

 「音」について考えると、いくらでも考えられ、いくらでも思うことがあることに気づく。いま、結構耳にするのが、パンザマストからの音だ。おそらく緊急放送用に自治体が設置したものだろうが、今は緊急というより、子どもの下校時間に合わせて、みんなで見守りましょうとか、よい子の皆さん、家に帰る時間です、という放送が毎日流される。この「音」を聴くと私は嘆かわしくなる。つまり、毎日、パンザマストからそのような放送を流して呼びかけをしないと、子どもの安全が確保できないという今の社会を毎日確認できるから。

 音について、とりとめなく書こうと書き始めたら、本当にとりとめのない文章になってしまった。巷に溢れるばかりに聞こえる音だが、たくさんある()いいことのひとつに、最近のホールでは、一ベル、二ベルの「ブー」や「ビー」のけたたましい音を使う会場が少なくなってきた。「・・・会館」「・・・ホール」が多目的用に作られた名残の音があのブザーだったのか。それにしても音楽の演奏会に行って、あの開演を告げるブザーの音だけは、「音楽」ではなく正しく「音」そのものだった。



 

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