徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*七十六段*<タイタニック>2008.3.30

 映画「タイタニック」がテレビ放映されていた。1997年の作品だから、もう11年前の作品かと、時間の経過の速さを思うとともに、今日、テレビでたまたま見ることができた作品だが、初めて見たときの印象がよみがえってきた。

 改めて音楽が効果的に使われていると思った・・・。主人公の二人が、たしかローズとジャックか・・・タイタニック号と救命用のボートとに分かれてしまう場面がある。ボートに乗っているローズは、またタイタニック号に戻る。その決断をするまでの間のセリフは全くなく、二人の表情が映され、あとはあのタイタニックの美しいメロディーだけがかなりの時間流れる。そして、セリフはないのに二人の心が手に取るように伝わってくる。11年前には、こんなにはっきりした印象は持たずに、全編にわたり作曲家ジェームス・ホーナーの音楽が効果的に流れていたという印象だった。今日は無言の中での音楽の力の大きさを思い知った。

 映画の中の音楽はもちろん重要な要素だ。いくつか思うことは、激しい場面や劇的な場面での音楽は意外に印象が残らない。大作の映画の音楽を数多く書いている作曲家の作品にも共通していると思えることがある。たとえば、ホーナーの作品ではディープインパクトとタイタニックを比べると、印象の残り方が大分違う。ディープインパクトも好きな映画だ。それでも浮かんでくるメロディーはタイタニックだ。

 同じような印象は、ジョン・ウイリアムの作品にもある。スターウオーズとハリーポッターを比較してみる。どうしてもスターウオーズの音楽が頭に浮かんでくる。二人に共通しているのは、実らない男女の愛の悲劇を表す場面、あるいは暗示させる場面での音楽の美しさが際立っているということだ。前者ではパドメとアナキン・スカイウオーカーを、後者ではローズとジャックの悲劇を暗示させる場面だ。

 人間としての愛を前提にしても、その中で男女の愛は別格なのだろうか。映画の監督も作曲家も特に思いが強くなるのかも知れないし、見る者もそれを感じるか、自分と照らし合わせて共感するのか、共通する感覚があるのかも知れない。あるいは自分ではなすことのできない愛への行動を映画の中で置き換えているのか。

 映画にも音楽にも美術にもいえること、それは結局、人間を描かないと、人間の心を表現しないと人の心の奥に迫ることができないということだ。人が人のために(この場合の人は自分であったり、他人であったりするのだが・・・)作品を作るのだから、人間を感じさせなければ意味がないといえる。

 再現芸術は、作るもの、表現するもの、鑑賞するものがそろって初めて成り立つ芸術だ。表現するものとして、作品の中の人間をどのように表現すればよいのか、このことは技術的な壁よりもはるかに厚い壁として存在する。



 

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