徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*八段*<想い出の断層−1−>2007.9.24

 小学生、中学生の時にどんな風に音楽に触れたのだろうか。

 昭和30年代だ。まだ下駄を履いて通学していた記憶がある。レコードは78回転盤(SP盤)、もしかしたらビクターのマークのような蓄音機だったかもしれない。男の子は音楽なんてやるものではないと思っていた。だからか、楽器をやったと思えるものは大太鼓だけだった。学芸会で「劇」をやったことの方が記憶に残っている。
 それと新校舎の落成記念の行事で、真打ちの落語を聞いたこと。かなり有名な人だ、との説明を担任の先生から聞いた。本物の芸が素晴らしかったのだろう。なぜか記憶に残っている。「古今亭今輔」師匠だったろうか。
 中学校は船橋市立宮本中学校に電車とバスで通った。学校は文武両道、腕時計の持参も可の、当時としてはリベラルな学校だった。音楽や美術などにも力を入れてくれた教育をしてくれたと思う。バラ園での写生大会や、都内まで全校で美術展を見に行ったり、中央公民館講堂での音楽鑑賞教室など、一学年12〜13学級の大規模学校だったのに、よくそんな大胆な学校経営をしてくれたと、心底その当時の先生方に感謝している。
 荒谷俊司さんの指揮でのオーケストラ鑑賞教室、舞台照明の中で輝く楽器や蝶ネクタイの団員の人たち。「シンフォニエッタ・サファイア」という楽団名まで覚えている。一曲目は「軽騎兵」序曲、交響曲は「未完成交響曲」当時の部活動はバレーボールをやり、音楽に縁のなかった自分がこれだけ覚えているのだから、かなりの印象を受けたのだろう。演劇鑑賞教室での「ああ、無情(レ・ミゼラブル)」や「最後の一葉」とともに、至福のひとときだったのだ。
 武田和子先生、鈴木毅先生の二人の音楽の先生が、またすばらしかった。武田先生は声楽を、鈴木先生はピアノに長けておられ、合唱部や吹奏楽部の音色が朝、昼、夕と流れていた。
 登校時の朝の音楽は「ペールギュント」の『朝』、下校時は同じく「ペールギュント」の『ソルヴェイグの歌』だ。隣の県立船橋高校からは「新世界交響曲」の第二楽章『家路』が流れていた。

 そんな中から、少しずつ音楽への目覚めが始まる。

      
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