徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*八十二段*<桜>2008.4.4

 私の住んでいる近くの桜が満開になってきた。都内よりも一週間か10日くらいは満開になるのが遅い。テレビでは上野公園や代々木公園などのお花見の様子が放送されるから、それを見ながら地元の満開を待つというわけだ。

 目の前に林と池のある公園がある。冬の間は樹木はほとんど茶色になっている。それは当然だが、三月に入るとほんの少しずつ微妙な色の変化が出始める。それから約一ヶ月・・・黄色やピンクがちらほらと見えだし、今では葉の色に黄緑色が見えてきた。新緑の季節の前ぶれだ。

 それにしても、桜の花は満開になるとあっという間に散ってしまう。それがいいのだと思う人もいるだろう。雨が降り風が吹くと、一日で花が散ってしまう。

 春の桜と秋の紅葉は、四季のある日本ならではの風景だ。桜と紅葉は比べてみると、いくつかの違いに気づく。桜の満開は短い。紅葉はそれよりは長く持つ。もちろん桜は市街地ではソメイヨシノが多くを占めるのだから、種類によっての時間差を期待しても無理だ。いろいろな樹木がある山の紅葉は色の種類も多いし、期間も長くなるのは当然ともいえる。

 もう一つの印象の違いは、夜にライトのあたっている時に感じることだ。昼間は可憐な桜が、夜になりライトに照らされるとガラッと雰囲気を変えて、怪しい、妖艶とも思えることはないだろうか。
紅葉は昼と夜とではそれほど印象が変わることはない。ただし、周りの風景によってその印象が変わることもある。京都の高台寺のライトアップは有名だが、紅葉の盛りの時期の風のない時に、池に映る紅葉を見ていると池が鏡のようになり、その池に映る紅葉の中に体が吸い込まれそうになる。この時ばかりは妖しい、と思える一瞬だ。

 自然の力は偉大だ。人間の心に働きかける力という意味でも・・・。

 桜の花びらが散っているところを見れば、多田武彦さんの合唱曲「さくらちる」の・・・散る、散る、舞い落ちる、舞い落ちる・・・のフレーズが浮かんでくる。新緑の山を見れば吉野弘さんの「山が遠くからひとの心をとりこにする・・・」という詩が浮かんでくる。海を見ると高野喜久雄さんの「空をうつそうとして 波ひとつなく なぐこともある 岩と混じれなくて ひねもす たけりくるうことも ある」の一節が頭に浮かぶ。

 もちろん高田三郎さんの作った旋律と一緒に・・・。音楽と自然が私の気持ちを時には高揚させ、時には慰めや諦めを教えてくれる。早春の季節は心を踊らせてくれるうれしい季節だ。



 

 八十一段へ   八十三段へ