徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*八十三段*<A.I.>2008.4.6

 三日前に桜の満開の状態でこの徒然草を書いた。と思ったら、もう桜の散る報告をこの中でするようになってきた。咲く前は、あんなに強風にも降雨にもびくともしないでいた桜のつぼみが、満開になったと思ったとたんに、ちらちらと花びらを落とし始めた。

 季節の変わり目には、人はとくにいろいろな思いを持つような気がする。桜を見ていると散り際が潔いとも思えるし、あまりにも儚いとも思えるし・・・。桜から思いを馳せる事柄はいくらでもある。

 ぼんやりと、映画の「A.I.」を思い浮かべていた。一年前の徒然草にも書いたかも知れない。知らないうちに同じようなことを書くのも、それこそ徒然なるままに・・・だ。

 人工知能、つまりアーティフィカル・インテリジェンスがどうして感情を持つようになったのか、それは説明のつかないことだ。この作品を監督したスピルバーグもその説明をあえてしてはいない。見る人がどう思うかだ。人工知能のデイビッド少年が、母親への思いをなぜあんなに強くもつようになったのか?

 己にはなしえないことにあこがれる。人の力に限界があることを知れば知るほど、その思いが強くなるだろう。人工知能が人間の感情を持つとは・・・しかも人間以上の感情を。母親への思いをなんと2000年も持ち続けるのだ。2000年というのはおそらく象徴としての年数だろう。人間は同じ心をそれほど長く持ち続けることができるのか?

 自分がそんな気持ちを持ち続けたのか?持ち続けられるのか?他の人はどうなのか?それでも、そんな心を持ちたいと願うし、同じように持ってほしいとも思うのだ。

 人工知能のディビット少年は、2000年後に神とも見える進化した生命体に発見され、人工知能を解析される。そして、母親への思いがあまりに強いことを知った進化した生命体が、母親の髪の毛一本から遺伝子を見つけ出し、一日だけ母親を再生し、ディビット少年と一日だけの生活をさせてくれるのだ。しかし、無情にも一日だけだ。思いを遂げることのできたディビット少年の喜びと儚さ・・・。貴重な、あまりにも短い、一日の24時間に象徴されるのが人間そのものだろうか。生の意味のわからなさ、成長のなかで知る喜びや悲しみ、諦めることを学んでもそれができない矛盾、人を信じては裏切られる残酷な経験、それでも思うことをあきらめない思いのひたむきさ・・・その時には報われない無常さ。

 昼と夜にみた桜の花を思い出しながら、とりとめもなく考えていた。私と同じ思いを持つ人は、果たしているのだろうか。



 

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