徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*八十九段*<瞬間の輝き>2008.4.14

 少年少女合唱団の演奏会が終わった。私の中での難関の演奏会だ。評価は聴きに来てくださった方にお任せするしかない。その中でも本番は、団員の子どもたちと指揮をした私の気持ちはひとつになったような気がする。

 本番の演奏においては、その瞬間がすべてといってよい。瞬間の音に弁解や説明は無用だし、したとしても空しい。

 前提として必用なのは、本番の瞬間を表現できる基礎の練習を積み重ねてきたかどうかだ。本番の身を切られるような一瞬の表現も、日ごろの努力の積み重ねが前提だ。

 有限の時間しか与えられていない私たちは、その時間をどう使えばいいのか。つくづく人にはそれぞれの個性があるのだと思う。そのひとの持ち味を生かした仕事をすること、まずそれが時間の使い方を考える時に必要なことだ。

 自分が向いていると思える仕事、自分がやりたい仕事に就くことが生きがいにつながる。単に食べるためだけの仕事だったら、長く続けるのも苦痛だろう。

 教育現場にいた若い時には思い至らなかったことだ。音楽でも、演奏技術に自信があるなら演奏活動に重きを置くべきだ。創作意欲があふれている人は作曲をするのがよい。研究の好きな人は研究することでその力を発揮する。それが正解なのだ。そんな当たり前のことも分からずに、いつの間にか我慢をしながら仕事を続けている。神か、宇宙か・・・、目に見えない創造主がいるとしたら、万能の力を我々には与えてくださらなかったのだし、少しずつの持ち味を与えてくださったのだと思えば、その持ち味を生かすべきだろう。

 今日、心が通じ合った少年少女合唱団のメンバーが、この後にどんな時を刻むのか?それはだれも知らない。本人も他の人も誰もが知らない。わたしは、瞬間の命の輝きを忘れないでほしいと願う。先が見えないから楽しいと思えるし、努力のしがいもあるというものではないか。

 例えば、病気一つを考えてみても、検査技術や検査機器の発達で、病が発見できるのは喜ばしいことだ。それが治療可能な病気ならば・・・。だが、発見しても治療のできない病ならば、それを分かることが幸せなのか、わからないままでいるのが幸せなのか、判断は難しい。

 私の未来はだれも知らない。だから私は生きているのかも知れない。




 

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