徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*九十段*<想い出の断層−34−>2008.4.15

 指揮のあとは、いつも虚しい。その演奏の指揮がどんなに短くとも、どんなコンクールでも・・・。

 この感覚は20代のころからあったものだ。この虚しさは何なのか、わからないままに時間が解決をしてくれた。忙しく仕事に追われれば、とりあえずの虚しさは解消されることを学んでいった。組織に属すれば、経験値とともに忙しさも増していく。それが現実的な救いだ。

 己の心を見続けたら、精神が持たないだろう。中学生から高校生時代にかけて、精神を強くしたいと必死に願った時があった。精神を強く、意志も強くしなければと思い込んだ。

 実現できない自分を許せなくなっていた。その時の心のよりどころは音楽だった。音楽に逃避したのかも知れない。少年から青年に変わる時代に、芸術への思いが高まるのは珍しいことではないだろう。経験が少なく、しかし、知識や理想はいくらでも高くもつことができる。理想と現実のギャップに、私の心が柔軟に反応しなかった。

 他人への期待が大きかった時だ。高校の先生への理想や期待が大きかった。これは私が勝手に期待や理想を、その時の先生方に持ったということだ。先生方の批判をする気持ちはさらさらない。社会や人間への期待を大きくもつことも青年期の特徴の一つだ。

 教科書の反復を繰り返して、再読と同様の授業をする先生、発音がわからない外国語の先生、偉そうに自慢をしながらの授業をする先生、生徒理解をしようともしない担任の先生、私の中では、教えてもらうに値しないと決めつけていた。私が表現した言葉は、その時に私が思ったことを言葉にした。客観的には違う評価があることは言うまでもない。

 私は、見せかけの親切さや、保身のために生きることを極端に嫌うようになった。それは、世渡りという観点からみれば損なことだが、己の生き方と考えれば正しかったと思う。私の嫌うことは、見せかけの優しさ、見せかけの友情、見せかけの言葉、つまり表面的な取り繕いだ。

 反面教師という言葉もある。高校の時の経験は、早くから「安易に人を信ずるべからず」と教えてくれた最初の反面教師だ。その反面教師に対して、かなりの反発を露にしていた私だから、当時の先生方から疎まれるのも当然だ。自ら招いた苦しい高校生活だった。魂の触れ合いや、純粋などという言葉自体が現実にはあり得ない、と悟るのはまだ先のことだ。




 

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