徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*九十二段*<想い出の断層−36−>2008.4.17

 H・K君へ。習志野一中のオケにいたこと、もちろん覚えているよ。君からのメールが転送され、私の所に届きました。丁寧な文に胸が熱くなりました。血管造影剤が静脈から注入されるときの、あの温かさのような感じ(例えが変ですよね)で。

 「想い出の断層」も、ようやく習志野一中時代の所に入ってきたというか・・・。「断層」というとおり、不連続の想い出を徒然なるままに書いているというところがあるので、話が飛ぶことをお許しください。

 中学生の時に君がラッパを担当し、そして部長までやってくれていたことを鮮明に思い出しました。ラッパもさることながら、部長職もさぞ大変だったろうと今更ながらに感謝しています。私が良い指導者であるとか、よい教師であったとかは本人がよく分かっていて、欠点の多いその私が顧問でオケの指導者だったのですから、やりとりはさぞつらかったことと申し訳なく思うこと数多しです。

 コンクールのことを思い出すと、全国優勝が2回、準優勝が1回の三年間でしたか?私の指導はよくいえば熱血ともいえるかな、か、実際は猪突猛進というか、ただそれだけみたいな感じでしたね。そうだ、君の年代の部員は個性が強く結構自己主張も旺盛で、その点でも部長は苦労したことも多かっただろう。指導教師と部員の板挟みに否応なしになっていただろうし。とりわけ口数が少なくひたすら誠実にラッパを吹き、もくもくと部長をしてくれていた。

 その君が高校と大学で指揮をしていたとは、なるほど、とも思い、うれしくとも思いました。チャイコフスキーやブラームスやドボルザークの交響曲の指揮とは・・・。やりがいもあり、君の時間の中で大きな経験だったのではないかと推察します。大きな経験というより魂を、精神を一番燃焼させた時間ではなかったかと。

 いまは、もちろん社会人になり、そして音楽を聴くことに中心を置いているとのこと。音楽を聴ける幸せを噛みしめているのでは、と思います。君の先輩の、「徒然草」に時々登場するТ君(大先輩の竹木君)も、会社では管理職になり、そんな多忙の中でも音楽への触れ合いは続けているようですよ。

 少しだけH・K君への返信を書きました。「教師とは 哀しきものか 老いつつも 一人ひとりの児ら 忘れられず」こんな言葉が浮かびます。教え子を一人ひとり覚えきれているわけはないのですが、それでも何人かを忘れることはできないのです。そして、その記憶は中学生の時の君のままなのです。私の中でトランペットを吹き、部長をしてきた君はいつまでもあの時のままで私の心に残っています。



 

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