徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*九十三段*<アテネの廃墟>2008.4.20

 四月も半ばを過ぎたというのに、相変わらずの天候不順だ。もっと厳しい気候の中で過ごしている人を思えば贅沢なのだろうが、四季の変化があまり明確に感じられなくなってきたと思うのは私だけなのだろうか。

 それでも、葉桜とともに新緑の黄緑色が多く目に入るようになってきたのは事実だし、少しずつ心も躍動するような気がする。緑が目にしみるとともに、逆の意味で目に飛び込んできたのが、公立の小中学校の校舎の色だ。実は、現職の時から気にはなっていた。マンションだと10年に一度の割合で大規模修繕が行われるところが大部分だ。それを近くで目にすると、同じころに開校した校舎の汚れや錆、つまり劣化が対照的に見えてくる。

 私は、思想的にも、宗教的にも、政治的にも特に傾倒しているものがない、昔で言うノンポリといわれる人種だ。それでも、後期高齢者医療制度や、年金支給のずさんな報道、残酷な事件の報道を目にして、心が動かざるを得ない。多くの人もそうだろう。「ありえないだろう」と思う事柄があまりにも多い現実だ。

 結局はどんなことにも人が関わり、人がすることで何かが起こる。そう思えば、人を育てること・・・つまり、教育をあまりにもおろそかにしてはいないか、さっきの校舎の状況がそのことを如実に示しているのではないか。人格形成に大きな役割をはたしている教員の給料はどれだけなのか。子どもたちが毎日学ぶ校舎はどんな状況なのか、お寒い限りだ。

 私学は私学で創設の理念のもと、それぞれに創意工夫をしての学校運営なのは当然だ。それに共鳴して私学で学ぶことも選択の一つだ。その中で公立の小中学校はどうなのか。あらゆる点で優先度が低いか、その他の行政と同等になっているのではないか。学校納入金が私学より安いというのが最大のメリットか?これでは、あまりにも情けない。

 しかし、これが現実だ。一部の保護者に気を遣い、一部の評判を気にし、反面、指導力の足りない教師をどうすることもできない。公教育に、これからの時代を託す人間教育を期待するなら、それなりの対応があってしかるべきだろう。

 教育という、深い意味を持つがゆえに、矛盾を抱えて進んできた事実。学校現場はある意味の自己犠牲か、自己完結にならざるを得ないのか。町作りとか国作りとか、耳触りのよい言葉も使われるが、それをするのはいまの子どもたちだということを改めて問いたい。

 不祥事や事故は、人間のすることにはつきものだろう。人間らしい不祥事、人間らしい事故があまりにも少なすぎると思わないか。学校教育を大切にしていない今の状況が続けば、日本は、廃墟になるのでは・・・。ベートーヴェンの「アテネの廃墟」の曲のように。




 

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