徒然草−日々思う、あんなこと、こんなこと。−

*九十九段*<フランツ・コンヴィチュニー&ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団>2008.4.30

 フランツ・コンヴィチュニー指揮、ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団のベートーヴェンの交響曲全曲がCDで手に入った。度々登場する、Т君と最近話した時に、さりげなくこのベートーヴェンツィクルスの話をしたら、全集があるとのことで早速送ってくれたものだ。この指揮者とオーケストラは、来日してはじめてベートーヴェンの全交響曲を演奏したオーケストラだ。全集の録音も1959年から1961年にかけてのものだ。40年以上も経つのだ。この録音から。

 音質はもちろん今でも十分に聴ける、ステレオの当時としては良好な音質だ。無骨な、いかにもベートーヴェンらしい演奏が、新鮮に聴こえる。来日した当時の映像でおおよその演奏の雰囲気はわかってはいたが、中学生か高校生の時に聴いた印象とは微妙にその感じ方が違う。それでも基本は変わらない。初めに受けた印象・・・正統的だと思われる、飾り気のない、揺るぎのないベートーヴェンの演奏だ。

 ちょうどその当時から、第二次世界大戦の敗戦から立ち直りつつある我が国に、外国のオーケストラが順次訪日していた頃だ。シンフォニー・オブ・ジ・エアーや、ボストン交響楽団の出すパワー全開の管弦楽団の演奏にまず驚いた頃だ。来日した指揮者も大家ばかりではないか。カラヤン、ミュンシュ、コンヴィチュニー、モントゥー・・・。そのころからの全力演奏の海外オーケストラと、やや控えめの演奏する日本のオーケストラの印象は、実は今でもあまり変わらないのだが、このことにはいろいろな思いが浮かぶ。

 ヨーゼフ・カイルベルトがN響を指揮して第九を演奏した時に、「喜びの歌」の旋律をノンビブラートで弦楽器が演奏して話題になったのは、さらに後になる。

 海外のオケが日本に来ただけで、一般のマスコミのニュースになる頃だ。発展途上の時は何にも増してエネルギーがある。パワーがあるといったらよいのか。おそらくオーケストラの世界では海外のエネルギーを貪欲に吸収しようとしていたのだろう。以前の段で書いたように、放送局が積極的にオーケストラ演奏を放送していた。朝比奈隆や渡邉暁雄や上田仁、森 正、近衛秀麿が画面に登場しており、私たちがあこがれの眼でそれを見ていた。

 音楽表現は時代を敏感に反映して変わるといえば、そうとも言えるし、変わらないと言えば、そうといえる奥の深さがある。時代に迎合することもあろうし、時代に合わせて豹変するのも避けたいことだ。オーケストラの場合は、楽器の進化と技術の進歩と、その時の時間の流れるスピードが表現に大きな変化をもたらす。ただし、その中であっても作曲家の思いは変わらないわけだし、精神も変わらないはずだ。精神の不滅の力を感じるのがベートーヴェンの作品なのだと感じるのは私だけだろうか。変に工夫を凝らさないコンヴィチュニーとゲヴァントハウスの演奏は今でも鮮烈な演奏として私の心に迫ってくる。



 

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