指揮者 Conductor
高橋 利幸 Takahashi Toshiyuki

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 ニュース〜齋藤秀雄メソードによる
  

*五百一段*<夕映え>2013.7.8

 夕方、階段を下りる途中に、ふと空を見ると、何とも言えない夕映えが目に入った。

 梅雨が明け、猛暑が到来、最近よく聞くゲリラ豪雨の前後に見ることの出来る夕焼けだ。しみじみとした夕焼けとは違う。妖しい、夕焼けのようにも見え、気持ちを揺らしてくれる、神秘の夕焼けだった。

 一瞬しか記憶されない、そんな心の動きを、より鮮明に、より永遠性をもって表現してくれるのが、画家であり、詩人であり、音楽家であるような気がした。

 夭折の芸術家、モーツアルトやシューベルト、メンデルスゾーン、八木重吉などは、短い人生の時間の中をどう生きたのか、計り知れない。

 自然が生み出す私が芸術だと感じる芸術と、人間が生み出す私が芸術だと感じる芸術、己の存在のあまりの小さなことに納得をしながら、自然や宇宙や人間や芸術に思いを馳せさせてくれた今日の夕焼けは、まさにアーベントそのものだった。





*五百段*<指揮法>2013.4.20

 五百段になる徒然草、春なのに、冬が一瞬戻ったかのような一日の終わりに書いている。

 この段の写真は、指揮法のレッスン風景だ。
 受講者は、ドイツの人。隣は、ピアニストでもあり、基礎のアシスタントをしている人だ。

 基礎で使用しているのが、斎藤秀雄著の「指揮法教程」、私の師の高階正光先生が斎藤秀雄先生の直弟子であるので、私もこの本を元にレッスンを受けていた。

 最近、この指揮法教程の内容が、斎藤秀雄先生に師事した何人かの指揮者の方々の手で補完されて、出版されている。
 原著をより解りやすく整理して、読んで独学をしようとする人には利点が多い。斎藤秀雄先生自身が、さらに優れた指揮法教程にしたいと考えていた、と聞くので、その意を体してのこととありがたく感謝しながら読んだ。

 難しいのは、技術や精神は、書物を読んだからといってすぐに身に付くものではない、という点だ。
細かく解説や説明を加えれば加えるほど、「素」から離れてしまうことは、現実に多い。

 人の営みは面白い。頭の好い人の話が簡潔明瞭かと思えば、そうとも言い切れず、物事を解説すればするほど、本質から離れてしまう、ということもある。

 源に立ち返ること、原点を見失わないようにすること、このことを最近強く思うようになった。
 教える、ということの本質は、基礎の基礎を教えることで、その会得した基礎を自分で広げられる力をつけることだと考えるようになった。

 指揮という行為自体は需要が多くない。みんなが指揮者では困るわけで、それぞれに違う役割を果たして社会が構成される。これは、指揮者というプロをイメージしての話だ。それでも、教師のように指揮をしなければならない職種もある。
 文化や歴史の伝道師にならなければならない教師、音楽の教師に必須の指揮法は、意外に軽んじられている。一見、腕を婦っているだけでも務まるような、「指揮」ではあるが、指揮をされる人達には、その力は絶大だ。
 そう思える音楽教師の人には、是非ともスキルアップを図ってほしいと願いながらのレッスンだ。
 教えるという行為は、生きていて、やがては死すべき運命の人間だからこそ、やらなくてはならないことだと思えるようになった。
 それしては、残された時間が少ないのだが。



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